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だれもがカリスマCEOを求めるが──
私はこの5、6年間というもの、アメリカ大企業におけるCEO交代について研究を重ねてきた。その結果、アメリカの巨大企業を導く人間の資質を判断する際、ジャック・ウェルチなどカリスマCEOへの崇拝が、驚くほど大きな影響を与えていることを発見した。結論から申し上げよう。カリスマ・リーダーの力については、だれもが宗教のような信頼を寄せているが、実際は問題が山積している。
・カリスマを仰ぐ姿はほとんど信仰に近いため、CEOが与えうる影響が過大評価されている。
・CEOにはカリスマ性が必須だという考え方のために、より有力な候補者が見過ごされ、CEOの仕事に向いていない人物がその座に着いてしまう。
・カリスマ・リーダーは、組織の安定性の脅威であり、危険すら招くおそれがある。
不合理なほど熱烈にカリスマ・リーダーの力を信じるのは、どうも人間の本性に根差すものが原因のようだ。
カリスマへの幻想は、ヨーロッパならば白馬の騎士、アメリカならば西部を守るローン・レンジャー(孤高の騎馬警官)など、人々を苦難から救い出す英雄談によって、だれの心にも植えつけられている。
大きな出来事というものは、目立った人物の行動に帰してとらえるほうが理解しやすい。本当は、社会的要因、経済的要因といった、人格とは無関係で、しかも英雄的な人物の努力に制約を課す外部要因が複雑に絡み合っているのだが、それを見抜くことはなかなか難しい。
社会学や社会心理学では、このように個人の影響を過大評価する傾向を「根本的な帰属の誤り」(fundamental attribution error)と言うが、西部フロンティアの英雄、先駆的な発明家など、気骨ある人物の伝説に彩られたアメリカ社会はずっと、この誤りから逃れられずにいる。